第15話 私が博士になった経緯3 

こんにちは、博士(ハクシ)ちゃんです。
ブログにご訪問いただき、どうもありがとうございます。

前々回のブログから、私の過去についてお話ししておりますが、今回もその続きです。

博士

長くてごめんなさい。

かい

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この記事の内容

ハクシ、研究者を志す

ところで、死後に伝記になるような人には、研究者が圧倒的に多い・・・ような気がする。

「ような気がする」と断定できないのは、もしかすると色々なジャンルの人の伝記があるにも関わらず、私の個人的な嗜好によって、たまたま研究者の伝記だけが記憶に残っているだけなのかも知れないからです。


家にあった偉人伝を読み込むうちに、そこに登場するたくさんの研究者(学者というべきかも知れない)に洗脳され、いつの間にか私は

「将来は研究者になろう」

と思うようになりました。


とは言えこれも無意識の刷り込みのようなものだったので、実ははっきりと明確にそう思ったことは一度もありませんでした。
子供の頃は温泉芸者になりたいとか、交通機動隊になりたいとか、その時その時で結構バラバラな夢を持っていたような気がします。
が、何せ偉人伝に洗脳されて脳味噌の形が変えられているような状態なので、温泉芸者になりたいとほんのり希望しても、私の頭の中の全脳細胞が一丸となって、

芸者だと死んだ後伝記になる確率が低いんじゃないかな〜

と嫌味ったらしくダメ出ししてくるわけです。

ちょっと状況が分かりにくいかもしれませんが、例えば代々家業を営んでいる家の子供が、ほんの少しだけ

「大人になったらサッカー選手になりたい」

と思ったりする。
でも頭のどこかで自分が将来家業を継ぐことは分かっているので、サッカー選手になりたいというのは、ちょっと思ってみただけ。
そんな未来があったら良いなと思うけど、本気で親に逆らってまで目指したいというほどではない。
本当に淡い、淡い、そのうち忘れてしまう今だけの願望・・・。

というような状況に、とても似ていました。
生まれながらに将来が決まっている老舗の子でもないのに、なぜか研究者になるのは自分の宿命であるかのように思っていたのですね。

ちなみに以前のブログに書いたように、実際の私の家業は代々続く土建屋なのですが、誰からも継げとも言われなかったし、自分でも継ごうとは一切思いませんでした。

その後の博士

その後は、高校→大学→大学院と進学しましたが、人生の岐路ではいつも研究者になって死後伝記になるべく進路を選択しておりました。

博士

今思うと、本当にバカでしたね

かい

純粋なのか不純なのか、判断が難しいところですね

博士

強迫観念的に思い込んでいたので、病気でしたね

かい

今はもう思い込んでいないんですか?

博士

いや、今も気付くと無意識に、伝記に残るべく人生の選択をしてしまっているので、最早死ぬまでこのままな気がします・・・


閑話休題。
家にあった偉人伝シリーズ以外にも、学生時代にはたくさんの伝記を読みました。

一番大好きなのは北里柴三郎と山極勝三郎です。
この2名には、恐れ多くも多大なる洗脳をしていただきました。
私の脳みそを切ったら、北里柴三郎の顔が出てくるではないかと思うほど。
今度千円札になられるようで、嬉しい限りです。

博士

千円札集めちゃおうかな、えへ、えへ、えへへ。

ちなみに、北里柴三郎も山際勝三郎も医学系の研究者ですが、私は医学系に進もうとは一度も思わず、なぜか工学系の進路になっておりました。
(そういう部分はあまり影響を受けないタイプ。)

ハクシ、研究所を作ることにする

そして時は流れ、大学院の博士課程3年の時のことです。

この頃私は研究で必要になり、HONDAのカブについて調べていました。
カブの開発秘話などまで調べていくうちに、今度は本田宗一郎にとんでも洗脳されてしまいました。
そろそろ大学院修了後の進路を考えなければいけない時期でしたが、私は当然のように

博士

よし、ここはひとつ自分で研究所をつくろう

と思ってしまったのでした。
(あーあ。)

本田宗一郎も起業しているのだし、北里柴三郎も帝大をクビになった後めげずに何度も研究所を作っているので、これまでの流れを考えると、私がこうなってしまうのは避けられないというか、案の定というか、想定の範囲内という。

とは云え当時は全く社会の仕組みが分からなかったので、ひとまず社会経験を積むことに。
一般企業に就職したり、アルバイトしたり、非常勤講師をしたり、母校の大学に呼ばれて助教職に就いたりもしましたが、どこも割と短期間で辞めました。
というのは、「起業するための下積みが目的だったから」という訳ではなく、どの職場も時代的に超絶ブラックだったからです。
この辺のことはこちらの記事にもチラッと書きましたが、一言で「ブラック」といっても実際は本当に大変で、とっとと逃げ出さないと殺されるかこっちが殺すか、または自殺するかのどれかになりそうでした。
そんなことでは伝記にはなれないどころか、犯罪史に残ってしまうではないか。

とこういう時でも相変わらずブレずに、死後伝記になるべく行動をしていました。
自分のことながら、なかなかウザいです。



そして大学院を出て7年目にまずは個人事業として研究所を設立し、その数年後にその研究所を法人化しました。
起業のことや研究所の経営に関することなど、書きたいことはたくさんありますが、このブログのテーマからはズレるので割愛いたしますね。
とりあえずここ数年は、この研究所の運営と大学非常勤講師が私の職業です。




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