第13話 私が博士になった経緯1

こんにちは、博士(ハクシ)ちゃんです。
ブログにご訪問いただき、ありがとうございます。

前回までは夫・カイの過去をお話ししてきましたが、今回は私・ハクシの過去についてお話しします。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。

博士

ちなみに、夫・カイの過去の記事には下記のリンクからアクセスできます!

この記事の内容

最初の記憶

私・ハクシは関東地方のなんの変哲もない市で生まれました。
実家は代々土建屋を営んでおり、それも1つの会社ではなく親類がそれぞれ土建屋をやっていたので、一族郎党皆土方でした。
本当に、祖父母、叔父・叔母、大叔父・大叔母、いとこ・はとこ、どこを見渡しても本当にどの家も全部土建屋でした。

私は物心つくのが非常に早かったので、1歳ごろにはそこそこ周りのことを認知していて、当時の記憶も結構残っています。

人生で最初の記憶は1歳の夏頃で、海辺の旅館の縁側で父に抱っこされてあやされていた時のこと。
父も土建屋なので真っ黒に日焼けしており、それがデレデレと形相を崩して赤ちゃん言葉で一生懸命あやすのを見て、なんだか情けないような、痛々しいような、なんとも言えない気持ちになりました。
もちろんまだ言語は獲得していなかったので「情けない」などとは思わずに、モヤモヤとした抽象的な感情のみでそう思ったのですけれども。

ただ人生最初の記憶が、父に必死にあやされている場面で良かったと思います。
もしも親に怒られたことが最初の記憶だったら、人生全般が何か違っていたような気がする。
それと同時に、おそらく私のようにとても小さい頃から周りを認識している赤ちゃんはそれなりにいるのではないかと思うので、今でも赤ちゃんと接する時には油断せず、敬意を持つようにしてしまいます。


ところで、私が人生で初めて認識した人間は父です。
鳥類の雛が生まれて初めて見た動くものを親だと思ってついて歩く刷り込みの原理を考えると、私には父が刷り込まれていると考えられます。
この頃の父は父は眼鏡をかけており、面長で日焼けしていました。
以前のこちらの記事で、カイさんに会った時に懐かしいような、なんとも言えない衝撃を受けたことを書きましたが、科学的に考えるとおそらくこれはこの刷り込みのせいだと思われます。

私の脳に刷り込まれている「初めて認識した動く物体=若かりし日の父」と、この時のカイさんがどことなく似ていたので、懐かしいような気がしたのでしょうね。
カイさんも日焼けしており、眼鏡をかけていて面長です。
しかもどちらも土建屋ですし。

スピリチュアル的視点に立つとツインソウルや前世の記憶ということになるのかも知れませんが、そんなロマンチックなものではなく、単にこの刷り込みによってなんとも言えない懐かしさを感じただけというのが現実だと思います。

テレビが苦手な子供

ところで、私は生まれつきテレビが大嫌いでした。
まだ歩けない赤ちゃんだった頃には、親がテレビをつけるとズルズル這っていって電源を消していたそうです。
これは大人になった今でも変わらず、なんだかあのガチャガチャした音や、次々と勝手に情報が垂れ流されるのがうるさくて不快なのですね。

それにも関わらず、私が少し大きくなって歩き回れるようになると、母は家事をする時など私から目を離さないといけない時に私に子供向け番組やアニメを観せて、大人しくさせようとしていました。
赤ちゃんの頃こそ気遣いもなく不快な気持ちに任せてテレビを消していましたが、この頃になると母が忙しそうなのがわかるようになったので、わがままを言うのも申し訳なく感じてテレビの前に座っていました。
でも基本的には他のことを考えていました。

小学生くらいになると、更にテレビが嫌いになりました。
しかし私の家族はテレビが大好きで、日曜日は一日中テレビをつけっぱなしにするので本当に苦痛でした。
しかもテレビが1台ではなく各部屋ごとにあったので、もう逃れようがありませんでした。
リビングのテレビの音が不快で二階に避難すると、そこでも誰かが違う番組と観ているという。

この頃は「家にテレビがなければ良いなぁ」と切実に願っていました。

家族がテレビをつけると、いつも心の中で

お願いだからつけないで!!!!!!

と叫んでいました。

ただ当時はテレビ全盛期だったので本当にどの家にもテレビがあり、家にいる時はつけっぱなしということが一般的だったのですよね。
だからテレビが苦手だとかつけないで欲しいなんて言うと変人扱いされるので、絶対に言えなかったし言おうとも思いませんでした。
今でこそテレビがない家も増えて来ましたが、カイさんの実家のようにテレビがない家(詳細はこちらの記事をご参照ください)というのは相当レアなケースです。
本当に羨ましい。

教育不熱心な両親

お父さんがエリートで、子供の頃家にテレビがなかったカイさんとは対照的に、私は家に何台もテレビがあっただけではなく、親が毎週ジャンプを買ってきてくれ、毎晩家族みんなでファミコンをするという、およそ教養や勉学とは程遠い環境で育ちました。

ちなみにテレビが大嫌いだった私ですが漫画は大好きでしたし、ファミコンもそこまで好きではなかったけど、でもそれなりにやりました。

こんな家庭だったので当然勉強をさせられることもなく、習い事なども一切やらされませんでした。
私は2人姉妹の妹なのですが、一応姉には親も多少教育を施そうとしたようで、幼稚園生くらいの時にピアノやら習字やらを習わせたそうです。
ところがピアノの先生が重度の癇癪持ちで、しょっちゅう怒鳴りつけるので姉がすっかり怯えてしまい、これ以降子供に習い事をさせるのは辞めたそうです。

勉強に関しても、一応姉には学習机を買い与えたりドリルや参考書などやらせてみようとしたようですが、姉はこういうものに全く興味を示しませんでした。

勉強に使うものは買っても活用しないから無駄になる」ということを学習した親は、私には机はおろかロクな本さえ買い与えませんでした。

今考えるとなかなか酷いのですが、私も別に勉強が大好き!ドリルやりたい!というタイプではなかったので、特に何も思いませんでした。

ということで、長くなってしまったので次回に続きます。

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